与えられた改題をやってみると『分かっていない』のが日本の課題

中山です。

スポーツ大国へ脱皮するために、日本はどうしたらいいのでしょうか?

現状の課題などを含めて話を聞いてみました!!

 

日本のスポーツに共通する組織的プレー

「日本のサッカーの強みは個の能力で劣る分、組織的なプレーができること」

 

こんな話を何度となく聞いたことあると思います。

実際、日本の選手はチームとして戦うことに非常に長けています。

 

これはサッカーだけではなく、すべてのスポーツに共通していえることです。

球技に限らず、例えば一般的に個人競技と思われがちな水泳や柔道などでもいえます。

五輪では競技が始まると出場する選手をチーム日本で応援することが普通です。

 

インタビューなどでも、試合やレースを終えた選手が

「これで日本にいい流れを持ってこれたと思います」

 

というようなことを話すことが普通です。

個人でありながら集団で戦うメンタリティを持っている。

 

国家にとって唯一の財産である『人』を活かす

これには日本の地理的、文化的背景が関係しています。

日本のように国土が狭いにも関わらず、1億2000万人もの人々がひしめき合っています。

しかも資源に恵まれないという大きなハンディもあります。

 

更に台風や地震という天変地異は日常茶飯事。

苦労して耕した畑や田んぼが、一瞬にしてダメになってしまう。

そんなことはざらでした。

 

こうなると国家にとって唯一の財産である『人』を活かすしかありませんでした。

 

そう人材です。

 

その人材をどう活かすかが日本人にとって常に課題だったのです。

同時にその人材を混とんとしたまま好き勝手にさせていたら、国家存亡の危機に晒されます。

 

そこで日本は『家』の存続を絶対視し、上意下達を徹底してきました。

これは『国家』と言い換えてもいい。

時代が変わっても、上の者がいうことが絶対という感覚は、日本人なら今でも理解できることだと思います。

 

体育会

実際日本のスポーツ界では『体育会』という、上意下達をまさに体現した組織が存在します。

これはその程度の違いはあっても、日本の高校中学の部活全般に共通します。

 

そしてこれは組織運営としては非常に便利な方法です。

ですから未だにそういう社会が、日本には多く見られます。

 

やってみると分かっていないのが日本の課題

2015年のラグビーW杯で優勝候補の南アフリカを破るなど、大活躍をした日本ですが、エディ・ジョーンズ監督(当時)は日本の課題を一発で見抜いていました。

「分かったか?と訊くと『はい』と日本の選手はいいます。しかしやってみると分かっていない」

 

どうしてそうなるのでしょうか?

日本は分かっているかどうかではそれほど重要ではなく、まず従順に『はい』ということが優先される社会だからです。

 

特にラグビー日本代表の選手の主力には大学の体育会でプレーしてきた選手が多く含まれました。

極端にいえば彼らは上のいうことを良し悪しで判断する機会を奪われてきました。

 

どんなに理不尽なことでも素直に従う。

 

そのことが外国人指揮官には非常に不思議であり、同時に大きな問題を抱えていると感じたのです。

 

変化していく時代

しかし時代は変わりました。徐々にですが、上の押しつけることを無理矢理納得してという時代ではなくなってきていると思います。

同時に有無もいわさず、無理矢理押し付ける、あるいは指導者の傲慢がまかり通ることは問題視されるようになりました。

 

今年女子レスリング、大学アメリカンフットボール、アマチュアボクシングなどスポーツ界で様々な不祥事が報じられました。

今までだったら選手が泣き寝入りするしかなかったことが、表に晒されるようになり、少しずつですが日本のスポーツ界もあるべき姿に近づこうという流れが生まれているように思えます。

しかしそれでも染みついた日本人的感覚は所々で顔を覗かせるのは事実なのです。

 

海外との根本的な差

筆者があるサッカーの指導者から聞いた話です。

「日本のチームが海外で試合をすると凄く不気味がられるそうです。それはどういう意味かというと、自分たちのシステムが相手のシステムにはまらない場合、ヨーロッパの選手は指導者に『このやり方を変えないとダメだ』というそうです。ところが日本の選手はいわれたことを延々とやり続け、選手が走り続ける。その姿を見て、日本人は何を考えているのかが分からない。だから不気味だと思うそうです」

 

これって、日本のスポーツの現場そのものではないでしょうか?

指導者も人間ですから、誰だってミスがあります。

そのミスを選手自らが考えて修正して試合を円滑に動かすということが日本人はできないのです。

 

そしてこれこそが日本人とヨーロッパや南米の選手との根本的な差です。

ただこの状況でも日本人は全員がハードワークすることができるので、試合としては成立します。

しかし選手が自主的にシステムまで変えて、ゲームを動かすようなことは非常に稀だといえます。

 

勿論、海外でも自分のやり方を変えない指導者は沢山いるでしょう。

しかし日本の場合は選手からの進言すら許さない指導者が沢山います。

 

「話をしにいったら、干されて試合に出られなくなった」

 

そんな話はどこにでも転がっています。

 

自分の意見を言える環境に

実は筆者の息子は海外の指導者との接点が多く、またスペインやブラジルで指導の勉強をしたコーチのもとでプレーしてきました。

そのことも幸いして、自分の意見をいうことに何の躊躇もありません。

そしてスポーツとはそうあるべきものなのです。

日本人は周囲を生かすために自分を捨てることを美徳としてきました。

 

しかし果たしてそのやり方で日本は世界のスポーツ大国たり得たでしょうか?

 

答えはNOです。

 

幸いスポーツ界が徐々に自助努力で今までの上意下達の体質を改めようという努力を始めました。

しかしまだそれはスタートでしかありません。選手自身が、そして指導者たちが、自らを変える努力なくして成長はありません。

それができるようになれば、日本人の最大の強みである、『組織』の強さは更に光を増すに違いありません。